第一章 デア・プリ―スタ―
Das ersten Kapitel Der Priester


 《神々の黄昏》から、5年――
 どれほど夢を物語っても尽きることがなく、どれほど強く祈りを捧げても叶うことがな
かったあの時代。
 その背景は、この世の背徳と絶望が傲然として支配する街――ウツロガオカ。
 辺境において、その治安の悪さで知らぬ者はいない、あの犯罪都市・ウツロガオカ。
 暴力沙汰や殺人事件などはまさに日常茶飯事。住民の大半が殺し屋、壊し屋、運び屋、
ヤクザ、チンピラ、娼婦、男娼、強姦魔、そして被害者。
 タチが悪いことに警察の頭には甘い汁を吸うことしか無く、彼らは非合法の犯罪組織と
徒党を組み、警察自身も犯罪を犯すことも決して珍しくない。
 人々はひたすら己の身だけを案じ、恥も外聞も忘れ、手段を選ぶことなく、逃げ出し、
追いかけ、騙し合い、そして殺し合う。
 強き者は、弱き者からあらゆる物を奪い続け――
 弱き者は、強き者からあらゆる物を奪われ続ける――
 弱肉強食――それは、まさに不変の摂理と言ってもいい。
 生き延びる者はほんの一握り、そして欲望を叶える者はまさに限られた者のみ。
 願いを叶える力は、究極の力そのもの――そしてそれを持つ者を人々は神、もしくは悪
魔と呼び、畏れる。
 人間は泣いて生まれ、人生という名の道を独りで彷徨い、そして泣きながら死ぬと言う
が、現実はそれだけでは済まされない。
 力無き者は野晒しにされ、やがて躯となれば憐れまれ、嘲られる。当然のことながら、
建てる墓標すら無いので碑銘も刻まれず、周囲の人間も遅かれ早かれ故人のことなど忘れ
去る。
 まさに、地獄だ。
 しかし、このイカした掃き溜めの真っ只中で、幻に等しき例外が存在した。
 素手で《吸血鬼》さえも屠る不敗の男――《不良神父》御巫・セバスチャン・狛彦、
 伝説の武人と《吸血鬼》の血を引く女――《女吸血鬼》辻 なぎさ、
 共に人外の力を手にする彼らは、引き受けた依頼は絶対に遂行し、依頼人の期待を決し
て裏切らない。
 そして今日もまた、明き逢魔が刻に依頼を報せる鐘が彼らの元へ訪れる。
 昏き冥りを忘れ、ネオンを妖しく輝かせる狂った夜の街で、今宵の彼らは一体何を魅せ
てくれるのか?
 黒き隻眼と紅き双眸の先にあるのは、絶対の死と敗北を確定された獲物のみ。
 蒼き月の下で、鎖を喰い千切り、紅き血に餓えた狼が今解き放たれる――

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 それは、或る月夜の晩のコトだ。

 男が倒れている。
 黒髪、黒のカッターシャツ、同色のスラックス、靴――と、全身に黒を纏った、悪趣味
極まりない男だ。
 すぐ傍に小柄な少女がいるだけで、他には誰も見当たらない。
 少女は兎も角、この男は知らない相手ではない。
 かつて非合法組織《ヴァルプルギス》に系譜する、暗殺者ギルド《ダンピール》を束ね
ていた男だ。
 それだけならば取るに足らない人物だが、彼にはもう一つの顔が存在する。
 それは、素手で幾千幾万もの《吸血鬼》を屠ってきた男――という顔だ。
 直接見た人間は少ないが、現役時代の戦績は常勝不敗。
 彼が率いた部隊が全滅し、如何なる事態に陥っても、必ず彼だけは生き延びてくるとい
う話だ。
 当然のことながら彼の任務達成率は、百パーセント。それ故にそんな彼を妬む者、畏れ
る者は数知れず、彼は常に孤独だった。
 唯一孤独を紛らわしてくれるとすれば、愛妾同然の女達。
 《吸血鬼》を屠り、女を抱く。闘って、抱いて、闘って、抱いての繰り返し。当然のこ
とながら、彼には心身ともに休みも癒しもなく、救いようもなかった。
 戦闘の中で悦楽を覚え、情事の中で快楽に溺れる毎日――
 それが、彼の全てだった。
「なあ………どうしてだよ………」
 彼は、眼の前に立つ少女に向かって静かな声で訊いてきた。
「………」
 特に返す言葉を持たない少女は、黙りを決め込むしかない。
「なあ………」
「黙れ」
 いい加減頭にきたらしい少女は、恐ろしく冷たい声で突き放した。
「………」
 彼は一瞬、それに怯み、やがて口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「これで………たと思うなよ………俺は、生きている限り何度でも――うっ」
 彼の口から血が吐き出された。量も多く、恐らく内臓に痛手を負っているに違いない。
 しかし、それを見ても少女は眉一つとして動かさなかった。ただ、冷ややかに見下ろす
だけだ。
 彼は、暫く聞き取れない声で何かを言っていたが、やがてそれも消える。
 それを確認すると、少女は踵を返した。
「じゃあね、不破 天斗」

 ――眼が覚めた。
 朝陽がカーテンの隙間から差し込む中、大きく伸びをする。アタシは朝特有の気怠さを
感じながら上体を起こし、ゆっくりと周囲を見渡す。まず最初に視界に入ってきたのは、
時計。時刻は既に昼前に差し掛かり、今朝眠りに就いた時刻から計算すると、ざっと七時
間ほど経っている。
「あれから、もうそんなに時間が経っていたのか………」
 無意識の内に出た言葉に、アタシは口の端を吊り上げ、邪悪な笑みを浮かべる。
 そして思考も自然とそれに見合ったものへと変化する。先程の夢の残滓が頭にこびり付
き、現実と夢の間でアタシは微かに余韻に浸った。
 しかしそれも数秒のコト。
 まだ五感が鈍くなっているような慢性的な気怠さが残っているが、ベッドから降りて、
キッチンへと向かう。
 まずは、ご飯だ。
 キッチンに着くなり、アタシはご飯が炊けているコトを確認する。それから買い置きの
豆腐と葱で味噌汁を作り、その傍らで鮭を焼く。ご飯と味噌汁と焼き魚という実に質素な
朝食をテーブルに並べ、テレビをつける。
「いただきまーす」
 手と手を合わせ、誰に言うでもなく食事を始める。
 一人の食事は何か物足りなく、淋しい。昔の職場では、同僚との共同生活だったのでこ
ういうコトは無かったのだが………やはり一人暮らしは中々慣れるものではない。
 まあ、週に一度くらいは隣家の親友がお裾分けを持ってきて、一緒に食べたり呑んだり
している。
 何だかんだで食事を終え、食器を片付けないままテレビを見る。
 テレビでは、株式会社鳥羽商事の本社ビルが何者かの破壊工作によって爆発炎上し、社
員の七割が死亡したというニュースが報道されていた。警察の調べでは、いずれの死体も
即死であったと断定された。何でもその死因は、素手による攻撃であるコトが判明したの
だが、本社ビルが炎上した原因は明らかになっていなかった。
 ――まあ、捕まれば極刑なんだろうな。
 他人事のように思って、食器を片付け、顔を洗って、歯を磨く。それから黒のTシャツ
の上に白のサマーセーターを羽織り、ジーンズを穿く。隣の親友に言わせて見れば色気が
無いコトこの上ないそうだが、それは大きなお世話と言うものだ。
 鏡を覗き込んで、軽くメイクする。ファンデーションをさっと塗り、眉をちょっと描い
て、リップを塗ったら終わりだ。 
 鏡の前に立って、ポーズを取る。
 うん。いつも通りのイイ女だ。
「顔良し、服良し、スタイル良し。完璧だね」
 僅かに頬を緩め、右ポケットに財布とナイフを、そして左ポケットに携帯を突っ込む。
 とりあえず外に出て、買い物にでも行こう。
 ドアを開けると、ちょうど隣のドアも開いて、黒いタンクトップと同色の功夫ズボン姿
の青年が顔を出した。寝惚け眼で、東京都推奨のゴミ袋を抱えている。
 彼の名前は、御巫・セバスチャン・狛彦――アタシの数少ない親友だ。彼はやけに疲れ
た顔で、眼の下に隈が出来ていた。彼はアタシと眼が合うと、口端を緩めた。
「オイッス、みうちゃん。相も変わらず色気が無い格好だな」
「大きなお世話だ。それよりアンタこそ、その顔と首筋その他諸々についているそれらは
一体何なんだ?」
 コマの軽口に揶揄するように返す。するとコマは、顔と首筋その他諸々に付いた無数の
キスマークを隠しもせずに、何故か揃えた二本指を唇に当てて、素知らぬ顔でタバコを吸
うマネをした。
「最近は、可愛らしい迷える仔羊の方から俺を求めてくるからなァ」
 コマは口の端を釣り上げ、似合いもしない伊達眼鏡の位置を修正する。
 こいつ、親が留守なのをいいことに女を連れ込みやがったな。
「いつか絶対にやると思ってたんだよねェ――この《不良神父》が」
 溜め息混じりの独り言をもらしつつ、心の何処かで安堵する。
 コマ自身は覚えていないかもしれないが、アタシと出逢った頃のコマは実にひどい有様
だった。
 それは一言で言えば、関わってはいけない何か――
 アタシは苦笑し、軽く眼を閉じた。脳裏を過ぎるのは、自分を取り巻く全てに憎悪し、
自分以外は全てが破壊対象と定めていたコマだ。
 あれは、まさに狂気の象徴と言っても過言ではない。
 明けても暮れても暴れるコトしか出来ず、なまじその強さは常軌を逸しているので死と
いう名の敗北を喫するコトも出来ず、それ故にもがき苦しみ続ける凄惨なあの姿――
 ――けれども、アタシは関わってしまった。
 ――どうして、アタシは関わってしまったのだろうか?
 まあ、その成り行きは実に下らないコトだったのだが………
「まあ、いいや」
 そう言って、コマに手を差し出した。
「出しといてあげる。どうせ寝てないんだろ?もう少し寝てなよ」
「ありがと。じゃ、おやすみぃ〜………」
 コマは手を振り、大きなあくびをカマしながらドアを閉めた。あれが某プロテスタント
系教会で史上最年少の大司教の座を獲得しているというのだから、呆れる。これからの世
界と宗教はどうなってしまうんだ!?
 アタシは人の家のゴミ袋を持って、マンションのエレベーターに乗った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ――約束の時間まで、あと十五分。
 腕時計を覗き込み、時間を確認する。
 マンションから出た後、アタシは隣町にある行きつけの店で軽く買い物を楽しむつもり
だった。しかしよくよく考えてみれば、何が悲しくてこの花も恥じらうようなうら若き乙
女が一人で休日を過ごさなくてはいけないのか。そう思い至ったアタシは、ここしばらく
会っていない女友達に電話し、呑む約束を取り付けた。
 地下鉄に乗って、吊り革にぶら下がりながら何と無く車内の中吊り広告を見る。
 某週刊誌の広告には、一面に『株式会社鳥羽商事の本社ビル、謎の炎上』、『吸血鬼現
る!?虚ヶ丘ギャル、集団失血死』、『怪奇 血を抜かれた女子高生』など、先月から騒が
れている事件に関するタイトルが踊っていた。確か虚ヶ丘で、夜遊びをしている女の子が
殺された事件の話だ。内容は広告の通りで、それと同じようなケースの事件がが何十件も
立て続けに起き、世間で騒がれている。
 まあ、いわゆる通り魔事件というヤツだろう。まったく物騒な世の中になったものだ。
 興味を失ったアタシは広告から眼を離し、目的の駅――虚ヶ丘で降りた。
 待ち合わせの場所は、改札を出たところにあるベンチだ。
 アタシはそこに腰掛け、行き交う人々を眺める。
 買い物途中の主婦の方々、お勤め帰りのサラリーマンであるお父さん方、そして――
「はお、みうちゃん」
 唐突に袖をくいくいっと引っ張られた。振り向くと、妙にデカいハンチング帽を被った
美少年――と見紛う少女がいた。
 ついさっきまで、アタシの背後には何の気配も感じられなかった。いくらアタシが和ん
でいたからといって、そうそう気配を逃すはずも無いのだが。アタシはさり気無くポケッ
トのナイフに手を伸ばしながら、少女を凝視した。
 褐色の髪を覆い隠すように被ったハンチング帽に、形のいい巨きな胸で張っている青い
ノースリーブのワンピース、日本人離れしたすらりと長い脚線美を際立たせる黒いミニス
カートと同色のブーツ。見た感じ十代半ば頃の中学生といったところだが、こちらを見つ
める意志の強そうな紅い双眸がそれを否定している。
 ――まあ、どちらにしろ同年代には見えないのだが………
「うーにゅ………」
 アタシはちょっと呻いてから、少女を更に見る。やがて時間が経つにつれ、少女の瞳に
映るアタシの顔つきが変わってくる。最初は疑念から認識へ、次に認識から驚嘆へ、そし
て最後には驚嘆から歓喜へと。
「なぎ――アンタ、ホントに辻 なぎさかい?」
「一瞬、マジで忘れられたんじゃないかと思ったよ」
 大きな眼を細め、少女は屈託無く笑った。
 彼女の名前は、辻 なぎさ――中学時代からの旧友だ。童顔と僅かに残る舌足らずな喋
り方のせいで、実際の年齢より遥かに若く見える。
「相ッ変わらず、なぎはコワいくらい変わらないね。ちょっとビックリした」
「何でだよぅ」
 なぎは、怪訝な顔をした。
「いやなに、昔のコトを思い出したんだ。アンタが国体で暴れていた頃と今を比べてもあ
んまり変わらないんだろうなってね」
「そうかな?でも、もう柔道はこりごりだよ。痛いし、足は太くなるし、もうサイアク」
 なぎは、苦り切った顔で溜め息を吐いた。こう見えてもなぎは、学生柔道において中学
一年から高校三年までの六年間では、練習でも全国大会でも全試合オール一本勝ちという
天才少女だったのだ。ちなみに見てくれは軽量級(48キロ以下級)だが、実際の試合では
無差別級(78キロ超級)で並みいる強豪を瞬殺していたのだ。人は見かけによらないとは、
なぎのためにある言葉なのだろう。
「でも、そういうみうちゃんも変わってないよね。ここに座っているのが見えた時、一発
で分かったよ」
「つまり二人とも変わってないってコト?」
 立てた人差し指を頬に当て、首を傾げる。するとなぎは苦笑する。一応、肯定と取って
もイイのだろうか?
 それからなぎは、アタシの手を引いて約束していた喫茶店《ユグドラシル》に入った。

 なぎはドアノブに掛けられた『CLOSE』となっている看板を裏返し、『OPEN』
にすると、滑るように店内へ入った。
 当たり前だが、未だ店はやっておらず、客はいない。しかし喫茶店とは名ばかりのこの
店は、なぎ曰く、彼女を含めた常連客や金持ち、そして何より(オーナー好みである)美
女だったら、極端な話、例え真っ昼間からでも呑める店なのだそうだ。更に付け加えるな
らば、未成年の飲酒だけでなく、その他にも、色々と役に立つらしい。
 そう、色々と。
「ケイさん、はお」
 カウンターに座り込むなり、なぎは顔見知りらしいバーテンに挨拶する。それから立ち
すくむアタシを自分の隣に座らせ、お奨めのカクテルを頼む。
「そう言えば、なぎって今どうしてるの?」
 お互いに軽口を叩き、カクテルを喉に流しながらふと思い出したように訊いた。すると
なぎは、一瞬虚を衝かれたように眼を見開き、それから頬を桜色に染めた。
「彼氏の家でヨロシクしてる」
「わお」
 アタシは、口元を手で隠して歓声を上げた。それからアタシはずいっと乗り出し、興味
津々たるこのニュースに喰らいつく。
「で、アンタの彼氏はどんなヒトなの?」
「いっつも真っ黒な服を着てる」
 彼女は、にこやかにそう言った。
 アタシは微苦笑し、残ったカクテルを飲み干す。言うまでも無いが、そんな説明じゃ、
よく分からない。でも、恋する乙女ってヤツは、こういうカンジに客観的に見れないのか
も知れない。
「へェ、そうなんだ」
 アタシは肩を竦めて、カクテルのお代わりを頼み、次の質問をする。
「んでその彼氏殿はアンタより年上?それとも年下?」
「年下。今高2だから、ボクの3コ下――みうちゃんとタメだね」
 ふむ。何となく誰かに似ているような気がするのは、気のせいだろうか?
 とりあえず、気にせずに質問を続ける。
「どういう経緯で出逢ったの?」
「待ち合わせしたベンチのトコでお腹を空かしていたら、ナンパされたの」
 ふむ。冗談抜きで誰かに似ているような気がするのは、気のせいだろうか?
 お代わりのカクテルを口に含み、気にせずに質問を続ける。
「彼氏の名前を訊いてもイイ?」
「御巫・セバスチャン・狛彦」
 アタシは呑みかけのカクテルを盛大に噴き出した。アタシの名誉のために言っておくケ
ド、この瞬間鼻からカクテルが噴き出したなんてコトだけは絶対にない。ないって言った
らないのだ。
 鼻と口を押さえながら横目で見ると、なぎは訳が分からないという表情で首を傾げ、バ
ーテンは咳き込むアタシに気付いてお絞りを差し出してくれた。
「なな………何?マジで?」
 我ながら取り乱した声を出してしまったが、それは仕方ないだろう。まさか久し振りに
会った旧友とあの男が付き合っているとは思わなかったからだ。
「なぎ、アンタ気は、確か?」
 心の底から心配になって、訊く。しかし、なぎは相変わらず首を傾げるだけだ。
 ――これは、重症だ。
 アタシは深々と溜め息を吐き、コメカミを押さえる。それから呆れ果てた眼でなぎを見
る。なぎは河豚のように頬を膨らませ、抗議するようにこちらを睨め付けてきた。
「コマちゃん、イイ人だモン」
 拗ねたように口を尖らせ、なぎはコメカミに青筋を浮かべて呟いた。
「コマちゃん、イイ人だモン。顔もイイし、ケンカも強いし、お金も持ってるし。ちょっ
と変態でえっちだケド、ボクに良くしてくれるイイ人だモン。………ね?」
 シェイカーを振っているバーテンに向かって、なぎは突然詰問した。ちなみに彼女の手
にはナイフが握られており、その銃口はバーテンの喉元に突きつけられていたりする。
 いや、てゆうかそれ――アタシのぢゃん!!
 そのバーテンは、「もちろんです!」とすかさず返事をする。
「ね?」
「はい」
「うんうん、ケイさんは流石に分かってるぅ〜」
「いえいえ。お褒めに与りまして身に余る光栄」
 そう言って、ケイさんは後方へ遠ざかった。どう見ても足を動かしていないのに、彼は
器用に厨房へと消えた。
 逃げたな。
 アタシは苦笑し、なぎからナイフを奪り還すと、彼女の頬をぷにぷにと突付いた。
「アンタ、酔ってるでしょ?」
「そーかもね。でも――」
 言いかけたところで、なぎはいきなりアタシを突き飛ばした。
 アタシは瞼を弾かれたように開くが、脳裏を過ぎるのは、何かなぎを怒らせるようなコ
トをしたんだろうか?――という思いのみ。
 そしてその直後、なぎの姿が霞む。
 彼女の場所を報せるのは、ガラスが砕け散る音。
 なぎが店の窓ガラスを粉砕し、そのガラスの穴から外に飛び出していった。
「とりあえず、追いかけよう」
 アタシは破れたガラス面から前方を覗き込み、誰に言うでもなく言った。
 表に飛び出すと、爆風が駆け抜け、土塊の破片が雨のように降り注いできた。
「ちィ………」
 舌打ちをして、それでも構わず突っ走り、駅前の繁華街に出る。
「――だ」
「――ないでよ」
 背後から誰かが交わす不穏な会話の断片が耳に届いた。
「ちょっと行き過ぎたか」
 アタシは舌打ちしそうな口調で呟き、素早く方向転換して、立ち開かる通行人の壁を押
し退けて移動する。
 ちょうど繁華街に出る直前に存在する路地裏で、なぎの姿を捉えた。
 なぎは、数メートルの間合いを挟んで対峙していた。
 彼女は正面に立っているらしい何者かといくつか言葉を交わし、突如通りを疾駆し、別
の横道に飛び込んだ。アタシは慌てて彼女を追いかけ、人気の無い通りに出る。
 なぎはそのまま素早く周囲を見渡し、前進する。
「そこにいるんでしょ?いい加減、出てきなよ」
 歩くのを止め、なぎはどう見ても誰もいないはずの空間に向かって言った。
 すると何処からとも無く、男の声が返ってきた。
「良かろう」
 え?
 アタシの驚愕は、まだ続く。
 今の今まで誰もいなかったはずの空間が、まるで陽炎のように歪曲し、無数の影が交錯
する。やがてそれは収束し、人影が生まれる。
 人影の数は、七つ。
 そこに現れたのは、一目で眼につく異彩の男共だ。みんなが揃いも揃って広い鍔に一条
の切れ目が走ったトンガリ帽を被り、その下から伺える顔はまるで表情が無く、非人間的
な印象を受ける。そして彼らは初夏である今時分にも拘らず、毛皮の襟が付いたコートを
羽織っている。
「――はん」
 なぎは冷ややかな視線を向け、鼻を鳴らす。
「………」
「まあ、こちらの用件は既に解っているのでしょうから、ぐだぐだとは言いません」
 トンガリ帽子の男――巡は、何処からともなく槍を取り出した。一見何の変哲も無い三
つ叉の槍――二メートルくらいだろうか――だが、矛先ががうっすらと紅い光を放ってい
る。
 とりあえず、ヤバいってコトだけは解る。
「辻 なぎさ――あなたを危険度Sの抹殺対象と認識し、狩らせて頂きます」
「上等だよ」
 なぎは鼻息も荒く言って、ファイティングポーズを取る。やや左半身になり、背を丸め
て、軽く握った両手を顔前に構えている。よく見ると両足は爪先立ちになっている。
 それに対して巡は、腰を深く落として槍を構えている。矛先は寸分の狂いも無くなぎの
顔面に向けられており、まるで標的を照準した拳銃のようだ。
 さて、この構図を見る限り、リーチで明らかに劣っているなぎが不利なコトは明白だ。
 しかし、劣勢と敗北は似て非なるものである。
 ぱっと見なぎに勝機があるとすれば、繰り出される槍を躱して巡の懐に潜り込み、そこ
から組み付いて得意の背負い投げを出すコトくらいだろう。畳の上ならまだしも、ここは
硬いアスファルトの路上――打ち所が悪ければ、死ぬコトもありえるだろう。
 停滞は、一瞬。
「夜はまだ始まったばっかだってのにお盛んだねェ」
 緊迫した雰囲気に、楽しげな声が割り込んできた。
 アタシはポケットからナイフを取り出し、軽い足取りでなぎの横に並ぶ。
「《ヴァルプルギス》に狙われるなんて、アンタ何しでかしたの?」
 おどけるように訊くと、なぎは驚愕に眼を見開いた。多分、何で《ヴァルプルギス》の
存在をアタシが知っているのか、とでも訊き返したいに違いない。
 けれどもアタシの疑問に答えたのは、なぎではなく、すぐそこまで移動していたトンガ
リ帽子の男共だ。
「彼女は、我々《ヴァルプルギス》の仇敵である《吸血鬼》の血を引く女だからです」
 男たちの中から、真ん中の一人が一歩前に出て言った。
 

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