を持った羊 第一章 不良神父、迷える子羊に出逢う早々ナンパする

 初夏の午後。
 駅前の繁華街は、賑やかな喧騒に包まれていた。買い物途中の主婦の方々、お勤め帰り
のサラリーマンであるお父さん方、そして仕事をサボって駅前のベンチにもたれ掛かる不良
神父――
 皆、この何気無い日常、やがて思い出すコトも無くなるであろう、しかし一生に一度し
か巡ってこないこの時間を過ごしている。
 ベンチにもたれ掛かりながら、ふとそう思った。
 すると僕は、いつも奇妙な――ただし決して不快ではない――感覚に囚われ、軽く首をもた
げる。
 これでは、まるで――
 ぐう。
 まるで僕の心の呟きを打ち消すかのように、腹の悲鳴が聞こえた。無論僕のものではな
い。僕は首を巡らせて、ベンチ――しかもりに選って僕の右隣だ――の背にもたれ掛かっ
ている少女を発見した。
「………」
 僕は後に振り返り、この時何故にこの少女が自分のすぐそばに近寄ってくるまで気が付か
なかったのかと不思議な気持ちになる。
 しかし、それはまだ先のコトだ。
「………」
 その瞬間、先程とは別の――言うなれば眩暈めまいに近い――奇妙な感覚に襲われた。そして
いつの間にか、少女に眼を奪われる。
 年齢は十代半ば頃であろうか。しかし少女の放つ幼い雰囲気と、キャップにパーカー、
そして膝丈のジーンズといった、まるで少年のような出で立ちが少女を実年齢より幼く見
せる。しかし女性の年齢というもの分からないもので、時によっては大きく読み間違える
コトがある。だから案外見掛けにはよらないのだ。
 多分。
 しかし中学生位でだろうか?それとも………
 まあどちらにしろ、同年代には見えない。
「おにーさん………」
「ん?」
 少女は僕の眼を真っ直ぐ見据え、怖い位生真面目きまじめで神妙な口調で口を開き、
「あのね………」
「………」
 無言の僕に、少女はやはり無言で、哀しげに、しかし妙にキラキラした瞳で何かを訴え
かけてくる。そして時間が経てば経つほど、少女の顔が泣き出しそうに歪んでゆく。
 一方僕はといえば、少女の責めの視線を受けながら、居心地悪そうにやり場の無い視線
彷徨さまよわせていた。
 何れにしろ、何かを言わなくてはなるまい。
 何の根拠も無くそう思った僕は――これも又後に振り返ってみて、何故に自分がそのよ
うな大それたコトを言ってしまったのか、と思わず赤面してしまう――とんでもない行動
に出た。




「ナンパ、してもイイかな?」
「………え?」
 少女は思わず絶句して、口を開けたまま数秒間固まった。どうやらこういう展開は予想
はんちゆうには無かったようだ。
「………」
 そして、僕も固まった。
 ただし、聖職者神父である自分が、ナンパを試みるという行為に背徳感を覚えたからではない。
神父だって人間だ。気に入った女がいれば、当然ナンパ位する。ただ、まさか自分がそうい
うコトをするとは、我ながら思いもしなかったからである。
「この先に旨い飯を食わせてくれる喫茶店があるんだ。あんさんさえつかえ無ければ、
お付き合いして欲しい。――勿論、おごるからサ」
 生まれて初めてのナンパにどぎまぎして、思わず口早に言った。後半なんか半ばどもって
いた。
「駄目?」
 未練がましく言った。
 すると少女は我に返り、やがてくすっと笑った。
「面白い人」
「そうかな?」
「うん♪」
 不意に僕等は顔を見合わせ、思わず口元を弛ませる。やがて少女は口のはしに笑みを残し
たまま、おもむろに立ち上がった。
 それから少女が一体何と言うのか、少女の口から一体どういう台詞セリフが出てくるのか、楽
しみに待った。

「――オムレツ(当店自慢のタバスコ入りのケチャップがお勧め)でございまーす」
「うわ!」
「――パスタ(ベーコンと南瓜カボチャ、そしてチーズを絡めたのがお勧め)でございまーす」
「わお!」
「――ブイヤベース(魚貝類満載でサフランと大蒜ニンニクの風味が特徴)でございまーす」
「うあーい!」
 店員がテーブルに注文した料理を運ぶ度に、店内にいちいち喜悦の声があがる。しかし
そのトーンは、感心と言うよりは感激に近く、更にわずかながら畏怖・・の念が込められていた
りする。
 ここの料理は上等ジヨ―ト―で、好評を博している。しかし空腹という名のスパイスを持っている
彼女は、それとはほとんど無関係に旺盛おうせいな食欲を見せ、眼の前にある料理を片っ端から平らげ
ている。
 まあ聞くトコによれば、何でも彼女はここ数日、ろくに物を食べていなかったらしく、夢
中になるのもうなずける。
 ここは、駅前の繁華街の大通りを抜けた、路地裏に存在する喫茶店カフエ《ユグドラシル》。
この風変わりな店名をかかげるここは、知る人ぞ知るといった目立たない店であり、かなり
特殊なトコだ。
 業務内容にいても、その店員に於いても――
 ………にしても、どーして僕は、こんなトコにいるのだろう?
「何だかな………」
 僕はつぶき、すっかり氷のけた微温ぬるい水をのどに流し込んだ。
「ねェ!」
 突如、元気一杯な声が耳朶じだを打った。
「ひゃ!」
 思わず、少しばかりってしまった。
「あ、あによ………!?」
 内心あせりながら聞くと、向かいに座っている少女は、美味おいしそうにパスタをほお
ながら何か言ってきた。
「ほほほへは、ほひーはんほほははへっへはひ?」
 言うまでも無く、何を言っているのかさっぱり判らない。
「悪い。口の中の物を飲み込んでから話してくれ。何を言っているのかさっぱりだ」
 すると少女は、ごっくんとろくまずに飲み込んだ。
「――よくんでから食えよ」
 思わずぶっきらぼうに言った。
「ところでサ、今更こんなコトをくのもあれなんだケドサ………」
「ん?」
「おにーさん、お名前何てゆうんだっけ?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「うん。ゆってたらわざわざいたりなんかしないよ。………まあ名前なんてあってもな
いようなモノだケドね」
 少女は聞きようによっては随分ずいぶん意味深なコトを言った。その表情には何処か達観したよ
うなトコが――無くも無い。
「まあ無理にとは言わないケド、何だったらおにーさんがボクに呼ばれたい名前でもイイ
から――」
 少女は、一点のくもりも無いんだ瞳で、伊達だて眼鏡めがね越しの僕の隻眼せきがんを真っ向から見詰みつめて
きた。
 何と言うか、全てを見透みすかされそうで、正直居心地が悪い。
 だが――
「――かなぎ
 僕は内心、少しばかり辟易へきえきとしながらも、彼女の純粋な好奇心に誘われるように、名乗
っていた。
かなぎ・セバスチャン・狛彦こまひこ――見ての通り、神父だ」
「セバスちゃん?それに神父?」
 少女は、まるで今気付いたかのようにつぶやいた。僕は思わず口元がゆるみ、胸元の十字架の
ペンダントを取り出して見せた。
「セバスチャンは、洗礼名だ。ウチの教会の信者は、洗礼を受けると、新しい名前を付け
てもらうんだ。そんでもって、俺はそこで神父をやってる。もつとも神父は神父でも、あまり
にも不真面目で雑な性格が災いしてね。ウチの堅物女司祭マザ―には、どうもそれが乱暴に見え
るらしく、影では《不良神父デイアボリツシユ・プリ―スタ―》なんてぼやかれてるケドね」
 そう言って、手元のナプキンにペンを走らせ、少女に手渡す。そこには、横書きで名前
が書かれ、その下には我ながら流麗な筆記体で読みを加えてある。
「………ヘェ………変わったお名前だね」
「確かに。親がこれ又とんでもない変わり者でね。一応っていう意味合いが込められて
いる。お袋が自分の名前を削って付けてくれた」
 しかし名前だけでなく、まさか生命まで削っていたとは、当時の僕には知るよしも無かっ
た。
「ヘェ………オオカミかぁ………」
 少女はその響きが気に入ったのか、口の中で何度も僕の名前を反芻はんすうし、満面の笑みを浮
かべた。
「ああ。それでもし、あんさんさえつかえ無ければ、コマと呼んでくれ。みんなはそう
呼んでいる。何なら俺の特徴を踏まえた上での呼び名でも構わないケドな」
 言い終えると、不意に少女は、「神父か………」と呟き、急にまじめな顔になった。大
きな瞳が細められ、何らかの意思がくらく光る。それが何なのかは判らず、感覚を研ぎ澄ま
してその正体を探ろうとした瞬間、
「奇遇だね」
「奇遇?」
 少女の微笑と共に、それは消え失せた。
「実はボクも、神父さんを捜している可愛らしい迷える仔羊なんだ?」
「………」
「………なーんちゃって。あは♪」
 妙にしばが掛かった口調でそう言うと、少女は吹き出した。そのまましばらく笑い続けてい
る。猫のように細くなった眼を半ばぜんと見下ろし、僕は「笑ってろ」と小さく舌打ちし
た。
ちなみにそーゆーあんさんはどーなんだ?」
「ボクは一人暮らしだよ。これでも自立してるんだ。おねーさんって呼んでイイよ」
「いや、そーじゃなくて、名前」
「え、ボク?ボクの名前は………」
 当然のようにくと、たん少女の顔が引きった。
 何故、そこで引きる。
「えっと………なぎさ、とかでイイかな?」
「え、いやそのとかでイイかな?って?もしかして偽名なんじゃあ………」
 いぶかしがるボクになぎさ(自称、偽名の可能性あり)はあわてて誤魔化ごまかした。
「ん、いや大丈夫!ノープロブレム!ボクはなぎさ。ホントこれにけってェ〜い!!」
「いやそのこれにけってェ〜い!!って?やっぱり偽――」
「ホント大丈夫。気にしないで。ね?」
 有無うむを言わせず言う、少女――なぎさ。
 そんなしな作られても困るっつうの。
「で、せいは?」
「せ、せい?」
みようのコト」
「ああ、姓、苗字ね。今は………」
今は?」
 やっぱり偽名らしい。
「ま、イイや」
 本当は全然良くないのだが、どうせ答える気が無いのだろう。だからといって、態々わざわざせん
さくするほど僕はすいじゃない。
「じゃあ、コマちゃんって呼ぶね。ボクはなぎさだから、なぎって呼んでね」
「………」
「ダメ?」
「お好きなように」
 そう返すと、僕と彼女――なぎは同時に吹き出した。
「あはは………」
「ははは………」
 それから僕達は延々とだべっていた。時折追加注文をしながら、ここのメニューの薀蓄うんちく
趣味、最近の出来事、故郷クニのコト等、何てコトの無い話をしていた。道端で出逢った見ず
知らずの女性とこうやってしで話すのは、随分ずいぶんと久し振りのコトだが、案外楽しいもの
だった。
 そんなこんなで時間は刻々こつこくと過ぎ去ってゆき、遂に閉店の時間となってしまった。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろおいとま・・・・しなくちゃ」
「ああ」
 すっかり冷めた珈琲コ―ヒーのどに流し込むと、僕達は立ち上がり、レジへと向かった。

「今日はすっかりごっちになっちゃって、ホントにありがとう」
「いやいや、俺も中々ひまを持て余している身でね。こちらこそ、付き合ってくれてどうも
ありがとう」
 そう言ってきびすを返そうとすると、彼女は僕を見て何かを言い掛ける。
 気の所為せいかも知れないが。
 だがその顔には、何と言うか、切実な光が見えたような気が、しなくもない。
「ん?」
「うぅん、何でもないよ、何でも………あはは………ばいばい」
「応………」
 僕との別れをしむというよりは、ただ単純にさみしいように見られる。お節介かも知れ
ないが、僕は彼女に連絡先をひかえたメモをにぎらせ、今度こそきびすを返した。
「じゃな。可愛らしい迷えるひつじになるコトがあったら、ここに連絡しな、なぎ」
「うん。ありがと。ばいばい」
「ああ。貴女あなたにも主の御加護ごかごがありますように。アーメン」
 そう言って、胸の前で小さく十字を切った。
 背後から「また誘ってね」と言う声が聞こえたが、僕は特に振り返らずに、背中越しに
手を振った。

 そして、夜。
 誰も家にいないコトをいいコトに、以前戦友ダチからまわしてもらった超極レアお子様禁止な
ビデオ『マグロ天国@〜これが噂の名門!聖愛女学園〜(限定版)』を鑑賞しようとして
いた、その時だ。
 何のまえれも無く、いきなり携帯ケ―タイの着メロが鳴り響いた。
 僕は思わず時計を見た。
 午前二時過ぎ――良い子なら、うの昔に寝ているはずだ。
 こんな時間に突然電話を寄越してくるのは一体どういうやからだ?出張に出ている義母はは上様
か?姉貴か?バイト先の所長ね―ちゃんか?昔の女か?それともたる――
 駄目だ、心当たりがあり過ぎて、一体誰なのか見当もつかない。
 やがて意を決した僕は、恐る恐るボタンを押した。
「もしもし」
 そこから聞こえてきたのは、聞き覚えのある女の声だった。ただし、何故か何処か弱々し
い、そんな気配があった。
『あ、コマちゃん?良かった。ちゃんとつながった』
「どうした?こんな時間に」
えないかな?』
 それが全てであり、それで充分だった。だから僕は、不安そうな声の主にこうささやいた。
「奇遇だな。俺も丁度今、可愛らしい迷えるひつじを待っていたトコだ」
 それから僕は、彼女の現在地を待ち合わせ場所に指定し、二三打ち合わせをすると、そつ
こうじまりを確認して、家を飛び出した。

『コマちゃん、ボクを、助けて』

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